よる@アメリカの大学生から日本の医学生になりました!

アメリカの四年制大学を卒業し、帰国!その後、日本の国立大学医学部に学士編入学した者です!雑記などを書いていますのでどうぞよろしくお願いします!

安楽死・尊厳死について私が思うところ

生きる価値のない生命とは存在するのだろうか・・・

「生きるべき人間」などのランキング付けは必要なのか・・・

どんな人に安楽死尊厳死を選ぶ権利があるべきなのか・・・

 

 7月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者を安楽死(殺害)したとして医師二人が逮捕された事件がありました。(ここでは、この事件を起こした医師のモラルや思想部分への考察へは触れません。)

 優生思想、生命の尊厳など考えても答えがわからない問いであるからこそ、深く考えられるべき内容なのではないかと思います。

 

「同様の障害を持つ人のなかで、その患者のうちの一人が安楽死を死の選択として希望した場合、他の人も安楽死を希望しなければならないのか?」

 

集団での美が善であり、個人の美は悪とする日本的考えで、まかり通るのでしょうか・・・

 

患者さんの生きる選択肢を狭めるのではなく、希望を広げるのが家族や医療関係者がまずすべきことではないかとという私の考えがあり、この問いに対して、私は違うと答えます。一人ひとりの命は別物であり、同じ疾患であるからと言って、同じ末路を選ばないければならないのは間違っています。

 

しかしながら、一方で、「生きることが辛いのです」と患者さんから言われると、やはり立ち止まって考えてしまいます。本当に自分のしていること、その人に生きて欲しいと願うことはその人にとって正しいことなのか、逆に「生き続ける」ことがその人にとっては「心の死」「その人の自分らしさを殺すこと」を早めているのかもしれないなどと考えてしまいます。

 健常者であれば、死を望めば自殺と言う手法があります。(自殺者の正義や自殺の是非はここでは論じません)しかし、今回のような場合、他人によって生かされていることへの苦痛と言うのは、健常者には理解しようとしても、難しい部分があるのかもしれません。今回のALSの場合、治療法も不明、生きる希望が持てない場合に、死ぬ権利さえも与えられないとなると、「生の選択」が提示できる同時に、「死の選択」を選ぶ権利があって良いかもしれないと考える節もありましたが、やはり私は、そのような患者を目の前にしても、あなたには生きて欲しいから治療したいと「生きる選択肢を広げる」努力をする医師になりたいと思うのが今現在の私の考えでした。

 

 生命倫理の本を読もう・・・知識がない。無知すぎる(「無知の知」)。今回取り上げた事件だけではなく、今回、安楽死について調べている中で、スイスで安楽死をすると決めた女性に関する記事(スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと - SWI swissinfo.ch)の中で印象的だったのが

「ようやくこれで(自分の人生を)終えられる。ほっとしたというよりもむしろ達成感でした」 

と言う部分です。ハッとさせられました。この記事のコメント欄には様々な方の意見が読めますので、とてもお勧めです。読みながらちょっと泣きました。死ぬことを怖いと思ってしまう自分は死と直面できない可哀想な人間なのか、一方でそんな甘い、温い考えを持てるのは健康であるから出会って、私は恵まれているのかもしれないなと、グルグル考えすぎて、頭が沸騰しそうになったので書きました。

  まとまりのない文章で申し訳ないです・・・。文章で書き起こすことで自分の考えを少しだけでも、すっきりさせられるかなと思い書きました。不快にさせる部分などありましたら、申し訳ないです。ただ、これは本当に私一個人の純粋な意見です。もしも、私の意見について、読者の皆様の考えがあればコメント欄で教えていただければ幸いです。

 話は少しそれますが、生命倫理の授業で必ず扱われる『トロッコ問題』は、功利主義などに関する内容で、超有名かつとても面白いと個人的に思いますので、よかったらまた読んでみてください!

 

                         じゃ!Have a good one🍀